年が明けてから、お店の突き当りの荷物置き場みたいになっていたところを掃除して、絵を置きました。

 

 バリでは下水道というものが発達しておらず、家庭やお店から出る汚水は一旦土に埋めてある、蓋はあるけど底はないセメントの筒状になったものに貯めて、そのまま土に浸みていく仕組みになっています。

 

 それで、しばらく前から、一番上の写真の赤い丸で記した筒から、上のお店のトイレやキッチンからのドロドロした汚水が、おそらく容量オーバーで溢れ返ってきていて、何とも言えない臭いがするようになってました。

 

 レノさんはよくそこで煙草を吸っていたので、「そこで煙草を吸って、ガス爆発したらどうするの?誰が掃除するの?」と周りから言われたそうで、私は煙草を吸おうとしてライターを付けて爆発コントみたいになるレノさんを想像して、一人でニヤニヤしたりしてました。

 

 

 何度かバキュームカーを呼んで汚水を吸ってもらっても、そういう状態になるので、拡張工事のついでに汚水を貯めておくタンクを増やす工事をしました。

 

 タンクを入れたときに出た土を集めて上にコンクリートをかけ平らにし、横に壁を作り、通路に屋根も付けたので、以前はここは風があって涼むための場所だったのに、ここにいられないぐらいの暑さになりました。

 

 以前は土だったところをコンクリートにしたこと、地面が土のところには屋根を付けて日光が当たらず草が育たなくなってしまったこと、そして隣の駐車場とを隔てる壁をオンデュリンという屋根に使う薄い素材からコンクリートブロックの立派な壁にしたことで全く風が入らなくなったこと、暑くなる要因が3つも重なったのです。

 

 見た目は綺麗になったのですが、お客さんがゆっくり絵を見たりできないぐらいの暑い場所になりました。

 

 それで、人工芝を敷いたり、池のようなものを作ったり、家から植木を持参したりして、見た目だけでも涼しくなるように頑張っているようです。 

 

 良かれと思ってやったことが、完全に裏目に出てしまい、ヒートアイランド現象の仕組みを深く理解しました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 海に行こう行こうと思ってはいたものの、なかなか行けず、昨日の朝やっと行ってきました。

 

 海に入った帰りに、アヒル肉を揚げたものと鶏を焼いたものを買って帰り、家で食べ、レノさんはお店に行き、私は睡魔に耐え切れず寝ました。

 

 

 夜12時前にハイテンションで帰ってきたレノさんは何やら喋り続け、お店でも遊びに来た古い友達と「自分でも気持ち悪いぐらい喋った」のだそうです。

 

 久しぶりに海に入って血の巡りが良くなったのか、アヒル肉の栄養価が高かったのか、「なんか凄く喋りたい」と言い、私が半分寝ているのに、「人はなぜ生まれてくるのか」について力説してました。

 

 なので昨夜は「なんか同じ事何回も言ってるよね」、「もういいから、早く寝てくれよ」と思いながら眠りにつきました。

 

 

 アヒル肉の効能について調べてみると、どこにも「無性に喋りたくなる」とは書いてありませんでしたが、鉄分とビタミンが豊富で元気になる食べ物なのかもしれません。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 今朝行ったレノさんの親戚のおじさんのところにいた軍鶏たち。

 

 私が熱心に観察していたので、「オスとメスあげるから持っていけば?」と言われたのですが、自由に歩き回れる土地がないと可哀そうなので断りました。

 

 帰りに今朝捕ったばかりの魚と、産みたての卵をお土産に貰いました。

 

 この卵は、大きくなったメスが初めて産んだ卵で、孵化しないのだそうです。

 

 家に帰ってから、「あのおじさんはどういう親戚?」と訊くと、「お母さんの妹の旦那さんの弟」と言ってましたが、本当かどうか分かりません。

 

 

 

 今は、世界的にそうなのだと思いますが、インドネシアも物価は上がるのに収入は上がらない状況が続いており、みんなイライラしています。

 

 こちらの人は、「周りの迷惑になる」とかは考えないので、朝の市場ではそれぞれがスピーカーで好きな音楽を爆音で流しカオスと化しています。

 

 今朝の市場はいつもに増してうるさいなと思ったら、八百屋のおばさんがマイクで歌ってました。

 

 野菜を売ってるおばさんが、YOUTUBEのダンドゥットと呼ばれるインドネシアのダンスミュージックのカラオケに合わせて歌っているのです。

 

 バリは観光客が買い物しないので経済が回らず、いつも市場では物が売れ残っており、売り手はそのぐらいギリギリの状態なのでしょう。

 

 腐った売り物はゴミになってしまうので。

 

 

 

 このタイムスリップ・ショッピング・ダンスは、たまに無性に見たくなって探してしまいます。

 

 ダンスと物価の変動を合わせるなんて、毎回見るたびに「こんなことよく思いついたな」と松っちゃんの凄さを感じます。

 

 

 

 

 

 

 先日息子が、「(国民が)本を読まない国は、バカの国でしょ?」と言うので笑いました。

 

 なぜそんなことを言うのか訊くと、今インドネシアは、国民に本を読むことを勧めているのだそうです。

 

 こちらでは、小さい頃から宗教の勉強をさせられるのですが、こちらで暮らしてみると、「そういうことの前に、人と人のマナーとか、まず情操教育をちゃんとしてくれよ」と思うことがよくあります。

 

 例えば、凄く熱心にモスクやお寺や教会に行っている人が、普段の生活では平気で人を騙したりしていて、そういう人の善悪の判断ってどうなってるんだろう?と思うのです。

 

 そういう人を観察したり、考察したりした結果、まずお母さんが、まだ子供が小さいときに人の気持ちを思いやるとかそういう基本の基本を教えていないというところに行き着きました。。

 

 もっと言うと、お母さん自体がそういう教育を受けていないから、自分の子供にも教えられないのです。

 

 そういう人たちを見ていて、「もっと本とか読んだらいいのに」とずっと思ってきました。

 

 でも今はチビッ子から年寄りまでスマホに夢中なので無理だとは思いますが、「本とか読まないからダメなのかも」って国が気が付いただけでも大きな進歩だと思います。

 

 

 写真は、最近また読み返している何年か前に10円で買ったムツゴロウさんの本。亡くなってしまったからか、今は3000円以上の値がついてました。

 

 

 

 

 

 パンデミックが始まり、コンビニのレジにこの厚紙に透明ビニールシートが張られたものを吊るされた時は、「ふざけてるのかな?」とびっくりしましたが、コンビニではもう大分前にこれは撤廃されました。

 

 でも私がいつも行く地元の人向けのスーパーのレジではまだビニールシートが張られていて、お金を払ったり、買ったものを袋に入れたりするとき邪魔でイラっとしていて、「これいつまであるんだろうな?」とは思っていたものの、もう何年もあるものだから誰も何も言わなかったのだろうと思います。

 

 それが、昨日やっとなくなってて、もしかしたらスーパーの人が自分で気が付いたのではなく、海外から来てる移住者に指摘されて外したのかもしれません。

 

 もうそのことは諦めて気にもならなくなっていたので、あぁあのビニールシートがないとこんなにスッキリするんだなと思いました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 レノさんは、「最近黒い海を描いてないから」と、今日は黒い海を描いてました。

 

 「大丈夫か?精神状態」と思いましたが、何種類かあるブルーの絵の具の中の、自分が好きなブルーの絵の具が終わってしまって黒を使ったみたいです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 朝のジンバランビーチ。

 

 今は海水が冷たい時期で、サーファーもあまり長く海に入っていられないのですが、小さい子がお父さんに波乗りを教えてもらってました。

 

 フォーシーズンズの前には、クリスチャンディオール仕様のピンクのワーゲンが停まってました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 初めてこのミュージックビデオを見たときに「バリみたいだな」と思ったのですが、「でも、こういう場所は東南アジアにいっぱいあるしな、タイかベトナムかな」と思いました。

 

 それからしばらくして、スライダーズのウィキのページを見てたら、

 

1987年 

  • 10月、村越が「風が強い日」のプロモーション・ビデオ撮影のため、単身バリ島へ飛ぶ。

 

とあり、「あぁやっぱりバリだったんだ」とクイズを当てたみたいで嬉しかったです。

 

 今でもインドネシアの田舎の方はこんな感じだと思いますが、今と比べると、中学校の制服のズボンの丈がピチピチです。(1;50あたり、左側のブルーのズボンの子)

 

 

 

 

 

 

 バリは7月8月が風が強く、凧あげの時期です。

 

 写真は、先日うちの子が船釣りで釣ってきた魚。

 

 「海が荒れて船がひっくり返りそうだったのに、5匹しか釣れなかった」とがっかりしてました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 先日、重い腰を上げて一人でクタビーチに行ってみました。

 

 クタビーチは入場料がない場所なので、お金のかからない時間の潰し方なため、凄く混んでました。

 

 

 近くで、サーフィンスクールをやっていて、私を観光客と勘違いしたインストラクター(多分レノさんの友達)に、サーフィンスクールに誘われました。

 

 「着替えもあるし」と言われたのですが、「着替えってサーフパンツとラッシュガードってこと?中の水着的なものも貸してもらえるのだろうか?多分誰かがビーチに忘れていったものなんだろうな、、、」と思いました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 インドネシアに住んでると、「この人には良心の呵責ってものがないのだろうか?」と思うことがよくあります。

 

 それで、今度そういう場面に出くわしたら、「お前には良心の呵責ってもんがないのか!」と言ってやりたいと思い、「良心の呵責」をインドネシア語で何というか調べてみました。

 

 

 

 

 

 するとこのような翻訳になり、この「rasa bersalah」を日本語にすると罪悪感になります。

 

 「えっ、良心の呵責と罪悪感って同じ意味なの?」と思い、調べてみるとやはりそれは似てるけど同じではないようです。

 

良心の呵責」と「罪悪感」は意味が少し異なる

つまり、「良心の呵責」には「悪いことをした自分自身を非難して心を痛めること」という自己非難の意味がありますが、「罪悪感」は「悪いことをしたという自己認識」であり、必ずしも強い自己非難が含まれない場合もあるのです。

 

「引用:「良心の呵責」の正しい意味と使い方を解説! 類義語や英語表現もチェック

 

 

 この良心というのは、世間一般でのルールや基準ではなく、その人個人の考えというか正しさみたいなもので、だから、同じことをしても何とも思わない人と、何だか後味が悪くずっと心の中に引っかかったままの人がいるのだろうなと思います。

 

 このことを調べたときは、「そういう気持ちがあまりないから、そういう言葉も無いのだろうな」と思いました。

 

 まぁ自分がしてしまったことに対して後悔することは、どこの国の人だってあると思いますが、日本語にはあるけど他の国にはない人の心の中の動きを表現した微妙なニュアンスの言葉っていっぱいあるんだろうなと思います。