インドネシアに住んでると、「この人には良心の呵責ってものがないのだろうか?」と思うことがよくあります。

 

 それで、今度そういう場面に出くわしたら、「お前には良心の呵責ってもんがないのか!」と言ってやりたいと思い、「良心の呵責」をインドネシア語で何というか調べてみました。

 

 

 

 

 

 するとこのような翻訳になり、この「rasa bersalah」を日本語にすると罪悪感になります。

 

 「えっ、良心の呵責と罪悪感って同じ意味なの?」と思い、調べてみるとやはりそれは似てるけど同じではないようです。

 

良心の呵責」と「罪悪感」は意味が少し異なる

つまり、「良心の呵責」には「悪いことをした自分自身を非難して心を痛めること」という自己非難の意味がありますが、「罪悪感」は「悪いことをしたという自己認識」であり、必ずしも強い自己非難が含まれない場合もあるのです。

 

「引用:「良心の呵責」の正しい意味と使い方を解説! 類義語や英語表現もチェック

 

 

 この良心というのは、世間一般でのルールや基準ではなく、その人個人の考えというか正しさみたいなもので、だから、同じことをしても何とも思わない人と、何だか後味が悪くずっと心の中に引っかかったままの人がいるのだろうなと思います。

 

 このことを調べたときは、「そういう気持ちがあまりないから、そういう言葉も無いのだろうな」と思いました。

 

 まぁ自分がしてしまったことに対して後悔することは、どこの国の人だってあると思いますが、日本語にはあるけど他の国にはない人の心の中の動きを表現した微妙なニュアンスの言葉っていっぱいあるんだろうなと思います。